宮原三神宮(みやはらさんじんぐう)

更新日:2019年3月21日

当宮はもとは三宮社と称していましたが明治維新後宮原三神宮と改称し、郷社に列せられました平治元年(一一五九年)九月二条天皇の勅命によって越中前司平盛俊が社殿の造営にあたり、応保元年(一一六一年)六月十六日に竣工され盛俊の弟平盛房を兵庫頭従四位に叙し社司に任じて、同年八月十三日に勅使として内大臣平重盛等と共に肥後國八代郡火の村に神輿を奉じて勧請しました。

天正十六年に社殿のほとんどが焼失しましたが加藤清正公が再興され、寛永年間から国主細川公代々の当宮を厚く崇敬されました。

以上のような由緒正しい古い宮でありまして、実に八代北部全域の守護神として尊崇され今日に及んでいます。 昭和三十六年十月には御鎮座八百年祭が盛大に斉行されました。

祭日 夏越祭七月二十九日 秋季祭十月十三日

旧神蔵寺塔心礎石 『三神宮の境内ヽ鳥居の右側に保存されている。昭和34年、文化財保護委員により現在地から東30メートル地点で発見されている。発見場所及び礎石(そせき)穴の大きさから神蔵寺の三重の塔の心礎(しんそ)であつただろうと推定されている。  塔心礎(とうしんそ)とは、塔の芯柱(しんばしら)を受ける礎石で、上面に柱を入れる穴が開いている。  ※神蔵寺とは、三宮社6坊(神蔵寺・閑光寺・西福寺・護平寺・光沢寺・浄国寺)の一つでヽ応保元年 (1161年)から三宮社寺として境内をつらねていた。』

(境内由緒書きより) 宮原三神宮は、熊本県八代郡氷川町にある神社である。旧社格は郷社。八代北部全域の守護神として尊崇されている。  1159年(平治元年) - 二条天皇の勅命により社殿の造営がはじまる。  1161年(応保元年) - 社殿が完成し、伊勢神宮内宮、日吉大社、下鴨神社の神霊を勧請し、創建された。はじめは、三宮社といった。  1588年(天正16年) - キリシタン大名小西行長の焼討ちにより社殿が焼失。  1602年(慶長6年) - 加藤清正により、復旧した。  1624年(寛永元年)- 以降、細川氏より手厚い保護を受ける。  1661年(寛文元年) - 神蔵寺をはじめ六坊が建立され、八代の妙見宮にならい宮地妙見宮となる。  明治維新以降 - 神仏分離令により、神蔵寺を廃し、社号を宮原三神宮と改め、郷社となった。